2024年3月27日(水)
晴れ
最高気温15℃
最低気温7℃
今日は久しぶりに暖かな一日。
車の中が熱かった。
《音楽のきっかけ》パート3
前回パート2では中学、高校の荒川君でした。
パート3は高校を卒業し、田舎から東京へ上京するところからです。
音楽で有名になってやろうと夢と希望でいっぱい。
甘々な考えの青年は東京に向かいました。
両親の運転するレンタカーのワンボックスに一人暮らしの用意を載せ明け方に実家を出発。一人暮らしのアパートには午前中に着き大家さんに挨拶の後一人暮らしの用意。
夕刻に両親は実家に戻って行きました。一人暮らしの始まり。
なんとなく寂しい思いになったのを覚えています。両親はもっと寂しかったかもしれません。
そして音楽学校に行く生活が始まります。40人を越えるクラスが4クラスと今では考えられないほどの大人数。
そのほとんどが女子。男性は全部で12人だけ。
実力別のクラス分けなのですが男性は無条件で全員トップのクラスに入れられました。
クラスメイトには全国大会優勝者もいたり、実力者が勢揃い。
音楽知識が無い私は、ドイツ語のドレミファソラシドを言えず恥ずかしい思いをしました。
結局田舎の天狗様はその鼻を瞬時に折られる事となります。
それでも男性が少ない為、学校でとても大事にされた記憶があります。
ここで大きなターニングポイントがきます。
副科目でとったJazz Piano。先生に教えてもらったコードをピアノで実際に弾くと、レコード(CD)と同じ音。その衝撃は今でも忘れません。あまりにも格好良く驚いた事を覚えています。エレクトーンとピアノの違いをまじまじと感じたときでした。
弾いたコードはCm7(9)。(笑)
ここで完全にJazzピアノにはまりだします。
クラスでもジャズを弾く人は一人もいなかったため、折られた鼻の修復に必死な天狗はジャズピアノに夢中になりました。
この学校には他に新設でプロプレイヤー科というクラスがありました。しかしピアノの生徒がいなく、バンドのアンサンブル授業では僕がこっそり毎日弾きに行っていました。こっそりというのは他の科目の授業を休んででもアンサンブル授業に出ていたからです。
しかしこれが大きく、ほかの楽器の生徒の友達が出来たりアンサンブルの練習になったからです。
卒業する頃にはエレクトーンよりピアノになっていました。
卒業すると同時にエレクトーンを売りキーボードを買いました。
そしてジャズピアノの先生にレッスンを受けに行くことになります。
レッスンの一番最初に生徒に対し先生が質問をしました。
「プロになりたい?それともジャズピアノが弾ける様になりたい?」と
そこには僕を会わせて3名。後2人は女の子でした。
僕はすぐ「プロになりたいです。」と。しかし女の子2人は「ジャズピアノが弾ける様になりたいです。」と。
そこからレッスンがはじまりますが内容は全く違うものでした。
女の子達にはあれやこれやとジャズのかっこいいフレーズやコードなどを教え。僕には簡単なリズムをOKといわれるまで弾き続けるつまらない練習。
(3連のシンコペーションと16分のシンコペーションを交互にOKというまで弾くこと)
一時期ずっとこればかりでした。心の中では「ジャズピアノと言えばよかったなぁ、とまで」
しかし今ではそれの大切さが身にしみてわかります。先生に感謝。
このときはまだバブル崩壊の直前だったかな
ここから演奏の仕事が少しずつ始まっていきます。。
その話は次回ですね。
つづく
〇 音楽きっかけパート1
〇 音楽きっかけパート2