2024年3月31日(日)
晴れ
最高気温27℃
最低気温14℃
昨日より暑かった。
ま、真夏だ。。
人がいっぱい外に出ていました。
あたたかくなるとぞろぞろと出てくる。。虫みたい。
《音楽のきっかけ》パート4(栄養失調時代)
パート3では学生時代までのお話でした。
パート4は学校を卒業し晴れて(?)社会人になってからのお話し。
学校も無事卒業し、東京の生活にも慣れて友人もいっぱい出来ました。
ここで通常は就職。
となるところですが、ミュージシャンのお仕事はそう甘くも無く、まずはバイト。
学校の先生に紹介してもらった小さな音楽教室の受付のバイトを始める事になりました。
このバイトは時給もそれほどよくないのですが、受付業務で生徒さんがいない時間はピアノの練習が無制限に出来る事。この条件でバイトを決めました。
それからは毎日練習の日々。ただ音楽の仕事がどうやって入ってくるかわからず悶々としている日々が続きます。そしてバイトをしているとは言え東京での一人暮らし、なかなか厳しい状況。しかも自分に計画性がないので生活がままならず、食べるものも回数が序々に減っていきました。しかし不思議な事にそれほどお腹も空かず、苦しいという思いも無く1日1食が続いたりしていました。その食生活がたたりその後栄養失調で3回倒れる事になります。
1度目は一人暮らしの自宅で急にめまいで倒れました。このとき
部屋のレコードデッキの角でお腹を切ってしまいます。傷口からの血が止まらず、これは不味いと思いオロナインを患部に塗るも血で流れてしまい、近くにあったタオルにオロナインを大量に塗って患部にあててうずくまっていたのを覚えています。畳や机などに血が飛び散っていました。タオルも真っ赤になっていました。よく、、助かったなと思います。
オロナインって凄い。。。(傷口はつい最近まで残っていました。)
2回目は駅のホームで腹痛に襲われ、ホームの椅子でうずくまっていると駅員さんが駅長室に連れて言ってくれて寝かしてくれました。。落ち着いた後病院に行くと
先生に「いわゆる栄養失調だね。。今どき」「ちゃんとした食生活と不摂生に気をつけて」と言われました。
最後3回目は自宅で腹痛で倒れ意識はあるのですが全く動けなくなり、
結局救急車で運ばれる事になります。このときは当時つきあっていた彼女が救急車を呼んでくれたのですが、何度も何度も耳元で「救急車呼ぶからね。」といっていたのを覚えています。
運ばれた病院では最初に見てくれた女医さんが「きたないズボンね、」と言ったのを未だに覚えています。とっても恥ずかしかった。
そこから2週間ほどの入院。病名的には急性膵炎、十二指腸潰瘍、胃潰瘍、大腸カタル、など内臓系がぼろぼろだったようです。(当時はお酒ものんでいません。)
ちゃんとした生活はしないとだめですね。このときの体重が180Cmの身長に対して50kg前半だった様なきがします。
退院した後は食事に気をつけるようになりました。。
それから半年ほど経つと
お仕事の依頼が舞い込んできました。この時はすがる思いで飛びつきました。何が何でも手にしなければと。
依頼する方はとしてはオーディション等を行いたかったようですが、急遽のメンバー替えで僕の実力に対しても不安があったようですが決定しました。
さてこの初めてのお仕事のお話は次回にでも。